2017年8月28日

コウチュウ目コガネムシ科ハナムグリ亜科

ライラの冒険シリーズに出てくるゴメス神父のダイモンはカナブンだった。
昔から虫好き少年ではあったが、カナブンのくせにやたらと強いゴメス神父のダイモンの活躍を読んでからというものの、私は甲虫の中でも特にカナブンが好きだ。
念のために言っておくと、ゴメス神父は悪役である。

この土日は豊永阿紀のために使う予定だったが、その時間を全部安田叶に突っ込んでしまった。
評判がいいのでなんとなく見に行った、8月26日「レッツゴー研究生!」昼公演。
1曲目から視線は一人のメンバーに釘付けだ。
この子こそが山内瑞葵と共にパフォーマンスがいいと聞いていた安田叶だろうと当たりをつけて様子を伺っていると、周りのコールは「かなちゃん!」と言っているようで、どうやら間違いない。
前半曲が終わって自己紹介MCに入る頃には、もう次の公演で使う団扇のデザインが頭の中で完成していた。

梅本泉も上野遥も、好きになったのは映像を見てからである。
豊永阿紀も地頭江音々も、新人なのにいいパフォーマンスをするなとは思ったが、既成の価値観を打ち破るような感動が得られたわけではない。
そんな私には、現場で初めて見たパフォーマンスで度肝を抜かれるというのは、思えば初めての経験だった。

何がそんなにすごいのかと問われると色々あるのだが、まずチア出身の柔軟な身体を生かしたダンスは、154㎝という身長の低さをまるで感じさせない迫力だ。
振りが正確なのは当たり前、置きに行くような教科書通りの正確さではなく、手足に力を漲らせてフルスイングした上で尚正確なのである。
これはセンスと努力が同居していないとできる芸当ではない。
この点は、我らが推しメンの上野遥に通ずるところがある。

そして、何と言っても踊っている最中の表情。
これが安田叶が山内瑞葵を明確に上回っている最大の武器なのだが、もう百面相とまで言って過言ではあるまい。
明智探偵を幾度となく苦しめたかの大怪盗の5倍のバリエーションの顔である。
バリエーションが豊富すぎて、笑っているのか睨んでいるのか判断に苦しむような顔が次々に出てくる。
安田叶は、喜怒哀楽のインクを混ぜ合わせて、有限の言葉では表現不可能などんな感情も顔に描き出すことができる、まさに変幻自在のアーティストなのである。

私はHKTのファンだ。
だからこそ、なんとなくパフォーマンスがいまいちな印象があったAKBの、しかも研究生にこんな鮮烈な印象を刻み込まれたということに、かなりショックを受けている。
一度チーム間で演目を交換したとはいえ、「シアターの女神」公演はもうKⅣの初日から3年以上経っている。
もちろんロングラン公演にはロングラン公演のよさはある。あるのだが、それは「同じ演目をずっと続けてさえいれば自然と滲み出てくるよさ」では決してない。

ただでさえ非常に動きの激しい「レッツゴー研究生!」公演。
アンコール明けの2曲を終え、山内瑞葵の挨拶の後に披露した最終曲「家出の夜」は、それまで動き回ったエネルギーを回収してもう一度ぶつけてくるような、壮絶なパフォーマンスだった。
私は感動のあまり涙を流した。

今のHKTにだって、できるはずだ。
できる人材は、揃っているはずなのだ。
それを無価値なものとして今のまま放っておくのであれば…。
「HKTのファン」がいつの間にか「AKBのファン」になってたって、知りませんよ。
あ、それでも儲かる胴元は同じなのか。なるほどな~。

2017年8月24日

はじめに

過去にいくつかブログを書いてきたが、どれもあまり長続きはしなかった。
クラシックギターについてのブログは大学卒業を控えた2013年1月から2年半ほど続けており、今のところこれが私の中で一番長く続いたブログなのだが、結局はクラシックギター業界に対して何かしら貢献しようという気持ちが薄れてやめてしまった。
そう、私の場合は何か特定の目的意識を持って物事を始めると、その目的意識が少しでも揺らぐと、途端に継続するのが面倒臭くなってしまうのである。ということに、28歳も2ヶ月余りを経過してようやく気付いた。

それならばと、あまり書式なども気にしないで、自分の書きたいときに書きたいことを書くようなブログを作ろうと思い、当ブログを立ち上げた次第である。
私は変なところだけ神経質で、今までは句読点や改行の位置などにいちいち拘っていたのだが、そんな誰も気にしないようなところに力を注いで、あまつさえ最終的にそれが心理的な障壁となって書くのをやめてしまうなどというのは、本末転倒もいいところだ。

このブログもそのうち公開するつもりではあるのだが、人に見られるということは基本的に意識せずに書いていこうと思う。
断言してもいいが、そういうつもりで書いたブログは、本当に誰にも読まれない。まあ、それならそれでいいのだ。